2026年10月に明らかになった米国のAI関連措置には、少なくとも二つの異なる制度がある。一つはDeepSeek製品を連邦の文民行政機関の調達・情報システムから排除する命令。もう一つは、知的財産の窃取に関係するとして別の中国企業群へ科された金融制裁だ。同時期の出来事を一括して「中国AIへの全面禁止」と捉えると、対象企業も、取引の範囲も、対応期限も取り違える。
本記事では、官報に掲載された命令原本、OFACの制裁一覧と一般許可、関連する刑事事件の裁判所文書を分けて確認した。制度の説明と、その情報から日本企業が検討できる実務上の論点を区別して整理する。
政府システムの措置は、7月の命令を10月に公示
国土安全保障省(DHS)が10月20日に官報へ掲載したのは、FASCSA(連邦調達サプライチェーン安全保障法)に基づく排除・撤去命令だ。添付された命令番号2026-01の原本には、当初発出日として2026年7月24日が記載されている。官報で知った日から新しい猶予期間が始まると解釈してはいけない。官報の告知、公式PDF・命令原本
対象は連邦の文民行政機関で、DeepSeekと規則上の関連企業が開発した情報技術製品・サービスを調達から除外し、既存の機関システムから撤去する。調達先リストや、機関が承認した製品リストなども含めた措置である。全米の民間企業や一般個人に、同じ範囲の利用禁止を直接命じた文書ではない。
文書は、DeepSeek自身や関連企業の製品だけでなく、DeepSeekの実装を利用して第三者が開発した製品・サービスも含める。画面や契約上のサービス名にDeepSeekが出てこなくても、裏側の構成によって対象に関わり得る点が実務上は大きい。機関へ製品を納める会社は、直接契約したベンダーの国籍だけを見て判断できない。
ただし、どの程度の派生、組み込み、加工を「実装」に含めるかを、この短い命令だけからあらゆるケースに確定できるわけではない。モデル名を変えた製品、外部サービスの呼び出し、学習済みの成果物などは、契約と実装の事実関係を確認する必要がある。日本側で独自に適用範囲を狭めたり、逆に世界全体の禁止と拡大したりしないことが出発点となる。
懸念の根拠はデータ経路と管理権限
命令原本は、DeepSeekのサーバーが中国に所在すること、中国の法制度による政府のアクセス権限、個人識別情報やデジタル指紋の収集、プロンプトに含まれる機微情報の移転などを挙げる。iOSアプリのセキュリティ上の問題を指摘した外部研究も参照している。
ここで扱われるのは政府システムの供給網リスクだ。命令がデータ移転への懸念を示したことをもって、DeepSeekが別の刑事事件でGoogleの秘密を窃取したと認定された、と記述することはできない。資料にあるリスク評価と、特定行為の司法上の認定は別の種類の情報である。
対象から外れる国家安全保障システムや特定の機密情報システムについても、無規制を意味しない。命令の脚注は国防・情報機関の別の権限を説明している。文民機関向けの命令に書かれない領域を、そのまま利用可能領域と読むのは誤りだ。
例外を求める機関には、発出から60日以内に書面を提出する手順が示される。要求する例外の範囲、対象製品、任務遂行への影響、代替する緩和策などが必要となる。これはベンダーが自由に使える一律の60日間の猶予ではない。命令は発出時からの対応を求め、撤去までの間の監視・記録等にも言及する。DHSによる見直しは1年以内と、その後毎年とされている。
別の5社に適用されたPAIPA制裁
10月19日のOFAC公表は、PAIPA(Protecting American Intellectual Property Act of 2022)に基づく措置だ。掲載先はNon-SDN Menu-Based Sanctions Listで、名称だけを見てSDNリストと同じ区分に置き換えず、各社の項目に記載された制限を読む必要がある。OFAC公表
対象は上海至算科技(Shanghai Zhisuan Technology)、MiraclePlusとしても知られる奇績創壇北京投資管理、および北京奇績創壇の第1期・第2期の投資主体と致遠企業管理主体の計5社である。この一覧にDeepSeekが同じ対象企業として記載されたわけではない。政府調達の排除命令と、こちらの金融制裁を同じ企業への連続処分として扱う根拠はない。
PAIPAには複数の制裁手段が用意されており、今回の一覧には選ばれた手段が明記される。財産の凍結、米金融機関による一定額を超える融資・信用供与、米国の管轄に属する外国為替取引、金融機関を通る送金・決済、米国人による相当額の株式・債券への投資などだ。融資の項目は、例外規定を伴いつつ12か月で総額1,000万ドル超を基準とする。PAIPA法文
したがって「制裁対象」という一語では必要な判断が足りない。輸出規制のEntity Listへの掲載、政府調達からの排除、ビザの制限などが、今回選ばれた金融措置と自動的に同じ意味になるわけではない。資産凍結の記載にも法定の例外があるため、実際の取引は該当する条文と許可の両方で確認することになる。
日本企業でも、米国人が関与する投資や、米国の管轄に関わる金融経路を使う取引では影響を検討する必要が生じ得る。一方、中国のAI企業という一般的な属性だけで、無関係の会社まで今回の5社と同一視してはならない。会社の正式名称、別名、所在地、識別番号、所有関係を照合する作業が不可欠になる。
撤退取引の一般許可は、対象と締切が限定される
OFACは同日、関連する一般許可も公表した。General License 2は、MiraclePlusと上記の関連3主体、およびそれらが直接・間接に単独または合算で50%以上所有する主体に関する取引の終了に、通常付随し必要となる一定の行為を許可する。一般許可2の原文
締切は2027年1月19日午前0時1分の米東部標準時だ。日本時間の日付だけを見た契約管理では時差の誤りが起こり得る。支払いには米国内の凍結口座を使う条件があり、通常の取引再開を認める制度ではない。その他の規制から免除するものでもない。
上海至算科技は、この一般許可2の対象として列記された4主体の中にない。5社へ制裁が出たから5社すべてが同じ撤退許可を使える、と説明してはいけない。また、一般許可1はサイバー関連制裁規則により許可された取引に関係する別の文書である。番号が隣接していても、許可される行為と条件はそれぞれ読まなければならない。
契約終了の手続きは、制裁の対象となる法人を把握した後で、必要な行為が許可の範囲か、支払い条件を満たすか、他法令による制限がないかを重ねて確認する。新規投資や事業拡大を「撤退のため」と読み替えられるとは限らない。本記事は制度文書の整理であり、特定取引の適法性を判定するものではない。
Google元技術者事件は、陪審評決の後も動いている
関連する知的財産事件の経過にも注意が必要だ。Googleの元技術者Linwei Ding氏の事件では、2026年1月に経済スパイと営業秘密窃取の有罪評決があった。しかし、その時点の見出しだけを現在の裁判結果として使うことはできない。
8月20日の裁判所の判断は、経済スパイに関する7件について無罪判決を求める申立てを認めた。争点は、秘密情報を取得した時点で中国政府等を利する意図が証拠によって十分に示されたかだった。営業秘密窃取の7件まで同時に消えたという判断ではない。裁判所の命令
この文書は、MiraclePlusが民間の主体であること、Ding氏が同プログラムへ応募し、上海至算に対する出資へつながった経過も扱っている。秘密窃取の問題、外国政府を利する意図の立証、投資家との関係は、それぞれ異なる問いだ。投資を受けた事実だけで、裁判所が外国政府への利益供与を認定したことにはならない。
編集上も、刑事手続きと行政制裁の根拠・対象を分ける必要がある。陪審評決、評決後の裁判所判断、行政機関による制裁は同じ時点の同じ認定ではない。情報を更新する際には、最初の発表記事を残して結論だけを重ねるのではなく、何が変更され何が残ったのかを示すべきだろう。
MITライセンスと、政府へ納入できること
DeepSeekは10月17日の自社発表でもMITライセンスを掲げている。ライセンスは、モデル等の利用・改変・配布を認める条件を定めるものであり、特定国の政府調達規則や制裁への適合を保証する証明書ではない。DeepSeekの公式発表
「公開されていて利用許諾もあるので、米政府向けの製品へ自由に組み込める」という結論には飛躍がある。逆に、米国文民機関の調達命令が存在するから、ライセンスそのものが世界中で失効したという説明も正しくない。知的財産上の利用条件、供給網・調達上の条件、金融取引の制限を別々に扱う必要がある。
オープンな重みを手元で動かせば、外部サーバーへ入力を送る経路は変えられる。しかし命令は第三者による実装にも言及している。データ所在地への技術的対策と、調達上の対象製品であるかの確認は、代替し合う作業ではない。ローカル運用という技術条件だけで法的な適用除外を宣言することはできない。
製品名の確認から、供給網の確認へ
今回の調達命令が第三者の実装を含めることは、製品のラベルだけを使った確認の限界を示す。業務用ソフトに生成AIの補助機能が加わった場合、利用者が基盤モデルを選べないこともある。導入時に確認した構成が、その後の更新で変わる可能性もあるため、一度の申告だけで継続的な状況を説明できるとは限らない。
調達先へ確認する際には、対象の製品とバージョン、モデル提供元、外部の推論サービス、下請けの処理、構成を切り替える条件を整理したい。機密性のため詳細を公開できないという回答があれば、どの範囲なら契約上の表明や監査資料で確認できるかを検討することになる。具体的な確認方法は契約関係により異なり、本記事が一律の適合証明を示すわけではない。
同様に、制裁の確認では、サービスのブランド名だけで支払先の法人が分かるとは限らない。投資ファンドとその管理会社、出資先は別の法人であり、同じ名称の一部を持つだけで同一視できない。OFACの一覧が正式名称や別名、識別番号を示す意味は、こうした取り違えを減らすことにもある。
変更に備えるには、代替案の条件も必要
実際に対象製品の変更が必要になった場合、代わりのモデルがあるだけでは移行は終わらない。既存の文書形式、回答品質、ログ、アクセス権限、保管された情報をどう扱うかが残る。モデルの名称を差し替えても、同じ用途で同じ品質になるとは限らないからだ。
特に、過去の評価を一つのモデルで行った業務は、切り替え後に代表的な入力で確かめ直す必要がある。出力の揺らぎや参照元が変われば、人が確認する工程にも影響する。これは規制から直接導かれる技術要件ではなく、継続運用を考える上での編集部の論点である。
また、契約や金融取引の整理と技術的な切り替えは、同じ締切や手順とは限らない。システムを止めたから支払いや投資に関する問題まで終了したとは言えず、逆に取引を終えたから保存済みの構成やデータへの対応が不要になるとも限らない。担当部署間で「対応済み」が何を意味するかを合わせる必要がある。
公開資料から分かる事実と、個別企業へ問い合わせなければ分からない実装を分けておけば、未確認事項を隠さずに対応計画を作れる。ニュースの要約を社内へ送るだけでなく、誰が何を確認し、いつ再確認するかまで記録して初めて、制度変更が実務へつながる。
編集部の考察:三つの台帳をつなげる
日本企業の実務では、契約先の台帳、使っているモデル・部品の台帳、情報が流れる経路の記録を結び付けると、こうした変化への対応がしやすい。利用部門が知るサービス名と、開発部門が知る基盤モデル名と、経理部門が把握する支払先が一致するとは限らないからだ。
まず米国文民機関向けの納入やその下請けに関係する製品を区別する。次に、その製品のモデル構成、外部API、再委託先、更新による構成変更を確認する。金融制裁については別途、対象企業や所有関係と支払い・投資の経路を照合する。この順番なら「DeepSeekを使っていない」と「制裁対象との取引がない」を誤って同じ確認で済ませずに済む。
ベンダーへの問い合わせにも、モデルの出自だけでなく、構成変更の通知、証明に使える資料、代替構成へ移す場合の品質・費用への影響を含めたい。単に「規制対応済み」という回答を受け取るより、どの命令のどの対象について確認したかを記録した方が、後から説明できる。
会社情報やAI導入の相談窓口として、本媒体の運営会社RO合同会社の公式サイトを案内する。個別の制裁・契約判断には、実際の取引関係と適用法を確認できる専門家の検討を組み合わせることが必要になる。
参考報道:イノベトピア。一次資料は2026年10月23日に確認した。官報掲載日と命令発出日、調達制限と金融制裁、刑事事件の各段階を区別して記述している。
AI導入支援AI導入・活用でお悩みなら
AI導入センターに無料相談する →
