映像を決めるのは、誰の感覚か
生成AIを使えば、言葉から映像を作れる。では、映像の出発点となる感覚や、完成した表現の意味を決めるのは誰なのか。ePARAの「The Unseen Beauty」は、全盲のクリエイター四人が映像監督を務め、音楽から広がるイメージを生成AIで作品にするプロジェクトだ。見るための技術だけでなく、制作へ参加する方法そのものを考える事例として読むことができる。
本記事は、プロジェクト公式ページ、ePARAの発表、5月26日公開のイノベトピアのインタビューを基に制作過程を整理し、当サイトの考察を加えたものだ。当サイトが関係者へ独自取材したり、制作現場を観察したりした報告ではない。また、生成された映像を人の内面の客観的な測定結果として扱うこともしない。
四人の監督と、音を起点にした共創
ePARAは2026年4月8日、プロジェクトのミュージックビデオを公開したと発表した。四人の全盲のクリエイターが、ヒューマンビートボックスクルーSARUKANIの楽曲「CROWN」を聴き、そこから広がる感覚や物語を映像へつなげた。音楽からイメージを作り、その世界観に合わせて楽曲もアレンジするという、映像と音の相互作用がある。
インタビューには、監督の西脇有希氏と真しろ氏、プロデューサーの平岡辰太朗氏、生成AIの制作を担う宮城明弘氏、ePARAの細貝輝夫氏が参加している。それぞれの専門や経験が異なり、AIだけで自動的に完成した作品ではない。企画、聞き取り、解釈、生成、確認という人の仕事が制作を支えている。
この事例を「見えない人が、見える人と同じことをできた」とだけ説明すると、出発点を狭めてしまう。視覚に依存しない経験を、既存の映像制作に合わせるだけでなく、新たな表現の源として扱っていることが重要だ。参加者を支援の受け手としてのみ位置付けず、作品の方向を決める監督として捉える必要がある。
楽曲を選ぶ段階から、感覚の違いが関わる
取材記事によると、企画では複数のテーマや音楽の方向が検討された。最終的に人の口から生まれるビートボックスと、個人の感覚から映像を作る試みが結び付いた。広告で知られた曲を単に添えるのではなく、企画の考え方を共有できる相手との共創として制作したという説明がある。
「Water Remix」とされた今回の音楽には、水というテーマがある。しかし、水という一つの言葉が、参加者全員に同じイメージを呼び起こすわけではない。生活の中で触れた水、音として聞いた水、場所の記憶として残る水では、想起される感覚が異なる。
この違いは、障害の有無だけで単純に区切れるものでもない。生まれた時から視覚を持たない人と、後に見えなくなった人では経験が違う。同じ状態に分類される人の間にも、趣味、仕事、身体感覚、記憶の違いがある。作品を「全盲の人に共通する世界」の再現と紹介することは避けたい。
言葉にする工程は、仕様の確定とは違う
生成AIへ入力する段階では、イメージを言葉へ変える必要がある。しかし、言葉が出た時点で、その意味が制作側へ完全に移ったわけではない。同じ形容詞でも、聞き手が普段接しているものによって連想は変わる。取材では、音や声の印象をめぐって何度もやり取りした過程が紹介されている。
ここで生成の速さが役立つ可能性がある。一度の説明で完成形を決めるより、候補を作り、説明し直し、違う箇所を確認する往復を増やせるからだ。ただし、速く多数を出すことと、監督の意図が反映されたことは別である。候補数が増えるほど、選択と確認を支える方法も必要になる。
制作担当が美しいと感じた映像を採用するだけなら、入力の出発点が多様でも、最終的には制作側の好みへ集約してしまうかもしれない。監督がどこを変えたいのかを伝え、その要望によって生成や編集が変わることが、主導権を保つうえで重要になる。この点は本事例から導く当サイトの考察である。
目で見て確認する方法だけに依存しない
映像を作る現場では、通常、ラフや試写を目で見て確認する。その方法を当然の前提にすると、制作へ参加できる人が限定される。今回のような企画では、何を映しているのか、どう場面がつながるのかを、別の方法でも共有する必要がある。
例えば、場面ごとの目的、登場するものの位置、動き、音との関係を説明し、監督が意図との差を指摘できるようにすることが考えられる。これは本プロジェクトで使われた全工程を当サイトが確認したという意味ではなく、同様の制作を考える際の実務上の提案である。説明する側がどこを省くかによって、判断に届く情報も変わる。
音声説明があるだけで参加が保証されるわけでもない。生成された候補の違い、変更した理由、まだ決まっていない部分を伝え、選び直す時間を設ける必要がある。完成後の承認だけを求めると、企画や途中の選択へ関われないままになる。制作の各段階に、判断を戻せる入口を作りたい。
見る側と見られる側を固定しない
取材記事では、当初の「見える人へ伝える」という方向から、見える人と見えない人の双方に働きかける作品へと考えが広がった経緯が語られる。一方が他方を説明するだけの関係から、異なる感覚を持つ人同士が表現を共有する関係へと変わる点に意味がある。
鑑賞のための支援と、制作の主導権を持つことも違う。作品に音声ガイドを付けることは重要だが、それだけで監督として制作に参加できるわけではない。何を作るか、何を残すか、どう公開するかを決める工程に関わることが、別の課題として存在する。
同様に、AIが画像を作れたことを、視覚を取り戻したことのように語るのも適切ではない。生成は入力と学習された表現から候補を作る技術であり、特定の人の感覚をそのまま画面に取り出す装置ではない。人の解釈や選択が含まれる表現として紹介する方が、作品と作り手を正確に尊重できる。
「言葉以外」を制作から排除しない
元インタビューは、言葉で感覚を共有する難しさと、言葉以外の伝達にも目を向けている。生成AIを使う際には文章を整える能力が目立ちやすいが、優れた文章を書ける人だけが表現者なのではない。短い音、動作、触覚、間の取り方にも意図がある。
当サイトの考察として、入力を一人で完成させる必要のない制作方法が考えられる。聞き手が言葉の候補を返し、本人が違いを示し、別の表現へ直す。大切なのは代筆者の説明を本人の意図と決めつけず、どこまで本人が選べたかを残すことだ。
言語化を支援する人が入れば、その人の解釈も制作へ加わる。これは欠点というより、共同制作の条件として明示すべきことだ。誰が何を提案し、誰が選び、どの部分を保留したかを共有できれば、AIの出力が一人の人の内面を代弁しているという誤解を減らせる。
日本の制作現場で応用するときの論点
取材の後半には、表現を始める動機の違いもある。真しろ氏は、誰もが芸術や遊びを同じように楽しめるのかという問題意識を語り、同時に他人へ見せるためだけではない表現にも触れている。西脇氏は、歌うことへの好みや、日常の音に感じる心地よさから話している。二人を一つの「障害を克服した創作者」という物語へまとめると、こうした違いが消える。
仕事や教育への参加は議論されやすい一方、楽しみや遊びへの参加も生活の一部である。生成AIの活用を職業的な成果だけで評価すれば、表現すること自体の喜びは見えにくくなる。作品を売れることや、多くの人へ届けられることだけを参加条件にせず、本人が試し、選び、やめられることも考えたい。
この点は、AI制作の場を設ける企業にも関わる。完成した作品を広報へ使うことが主目的なのか、参加者が制作を経験することも目的なのかで、必要な時間や進め方は変わる。公開への同意と、制作への参加を切り離して選べるかも確認したい。参加したから必ず実名や経験を広告へ提供しなければならない、という関係にしないことが大切だ。
制作過程で実際に使われた確認方法
イノベトピアの取材では、宮城氏が、場面の意図や作品の流れをテキストで共有し、ナレーションや文章によって映像を解釈し直したと説明している。見える人だけの評価で終わらせず、当初の意図と体験の間に差がないかを確かめるための工夫だったという。これは当サイトの推奨案ではなく、取材で報じられた制作側の説明である。
重要なのは、この方法にも翻訳の工程が残ることだ。映像を言葉へ戻す人が、何を中心に説明するかによって受け取る情報は変わる。だからこそ、説明を一度渡して終えるより、問い直しや修正を可能にする往復が必要になる。完成した画像の数だけでは見えない、共同制作の負担と技術がここにある。
取材末尾では、ジェスチャーや擬音のような表現が、話し合いの中で役立ったことも語られる。こうしたやり取りを、文章にできるまでの未完成な段階と見る必要はない。人にとって使いやすい伝え方を組み合わせ、その内容を生成や編集へ橋渡しすることも、制作の専門性になる。
一回の成功から、継続できる制作へ
制作側は元取材で、今後も継続し、物語の組み立て方などを変えながら展開する可能性に触れている。これは今後の構想としての発言であり、本記事時点で次の作品や実施日を確認したという意味ではない。公開された一作の成果と、将来の方向性を区別して読む必要がある。
当サイトの考察として、継続する際には、初回で蓄積した説明方法や確認の工夫を、参加者が利用できる形で残すことが役立つ。担当者が変わるたびに本人が同じ説明を最初から行うのであれば、制作の入口は依然として狭い。共有してよい制作上の知識と、外へ出さない個人の経験を分けて引き継ぐ設計が求められる。
企業が同様の企画を進めるなら、まず表現者の役割と報酬、確認の方法、公開時の説明を決めたい。多様性を伝える広告であっても、当事者が作品を変えられず、最後に名前だけが載る構成では、制作の主導権という課題は残る。
次に、生成の回数より、意思決定の記録を重視する。どの発想が出発点で、候補を選んだ理由は何か。映像担当と監督の解釈が異なったとき、どのように話し合ったか。すべての私的な会話を公開する必要はないが、制作側が確認の過程を説明できることは重要だ。
公開物には、生成AIを用いた表現であることと、実際の人の姿や体験をどう扱ったかを適切に示す。実在の制作者に似た生成人物を、本人の記録映像として載せない。第三者の写真や作品を入力する場合も、利用できる範囲を先に確認する。技術が表現の入口を広げることと、素材を自由に使えることは別だからだ。
成果を測るなら、参加できた判断を見る
生成モデルの更新に備えることも、継続制作の一部になる。以前と同じ指示でも、別の表現が出る可能性がある。監督が承認した場面と、そのときの意図を残せば、新しい候補が単に高精細になったのか、作品の意味まで変わったのかを話し合いやすい。品質を画質だけで定義しないための記録である。
このプロジェクトを技術の宣伝だけで終わらせないためには、映像の美しさや再生数に加え、どの判断へ参加できたかを見る必要がある。企画を提案できたか、意図と違う場面を直せたか、公開する説明を選べたか。その経験が次の制作へ持ち越せるかも重要になる。
一方、この一事例から、すべての視覚障害者の表現上の課題が解決したと一般化することはできない。使える機器、支援者の有無、費用、本人が望む制作方法は異なる。AIを使わない表現も含めて選べる状態が、参加の幅につながる。
The Unseen Beautyが示すのは、AIが人の感覚を置き換えるという物語ではなく、異なる人同士が表現を組み立てるための新しい経路である。生成の技術とともに、聞き取り、説明、選択、修正を支える人の仕事が見えてくる。当サイト運営のRO合同会社では、AI制作と人による確認・承認工程の設計について相談を受け付けている。
参考にした制作過程や関係者の発言は前掲のイノベトピアの取材による。本記事の制作工程への提案は当サイトの考察であり、同プロジェクトでの実施を確認した手順と混同しない。
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